ぽじのうのう

しこうダイニング

二世帯せっけん

ものすごく些細なことでしあわせを感じると、自分、安上がりだなーって思う。

 

でも感じるんだから仕方ない。

 

そのひとつが、せっけん。

 

ボディーソープ、ハンドソープ。いろんな洗剤が液体化して、今や泡状へと進化している。

 

我が家にももちろんいらっしゃる。食器用、洗濯用、シャンプーも液体だ。風呂掃除用、トイレ掃除用、ハンドソープは、何と泡!最先端!!(?)

 

しかし、私は元来アナログなもの好きなようで、やっぱり居座っている重鎮、せっけん。


台所のふきん用はせっけん。そして洗顔もせっけん。(さすがに種類は異なるよ)

 

基本四角い形のそいつを、ふきんや手でこすって、少しずつ小さくしていく。使っている感。液体のボトルの残量を重さや目で確認するのとは少し違う、あの独特の使って減らす感覚。

 

…やっぱり好きなんだな、せっけん(笑)。

 

まず攻めるのは角。おろしたてはまずまんべんなく角を削るところから始まる。

 

いや、そこまで角を敵視しているわけではないし、意識しているつもりもないが、自然とそうなる。最初は大胆に、途中は中だるみして、最後、薄っぺらくなっていくせっけん道中。

 

手でもみもみしながら、まだいけるか、そろそろ次のを出そうか考える。面倒だからたいていはまた次回、ということが多い。そしてその次回に、大体パキッと折れて少なからず絶叫する。心の中で。

 

そうなったら仕方ないので、折れた子たちを集めて、優しくなだめすかし、何とかまとまってもらう。これも力加減を間違えると…一家離散。粉々に砕けて排水溝の藻屑と消える。割と繊細な作業である。

 

それなりにうまいこと使ったせっけんは、最後、マンゴーの種のような形になる。下手したら手が切れるんじゃないかというくらいにまで育てたせっけん。

 

いよいよ新世代との合体!

 

そう。この新旧合体作業。これこそがせっけん道のハイライトと言っても過言ではない。(そうか?)

 

新世代をまずはまんべんなく濡らし、硬くなっている新人の心と表面をほぐしてやる。この下準備は大事。少しぬるま湯の方が今後の関係性が良好になりやすい。

 

そして、今にも崩れそうな、弱り切った旧世代を丁重に、そ~っと、そお~っとその上に乗せる。着地できればとりあえず第一関門は突破。無事顔合わせ終了である。

 

そして本番はこれから!

 

初めて出会った若者とシニア。その壁をいかに取り払うか。これはせっけん社会においてもやはり難問の極みなのである。そして何といっても最初が肝心。ここでしくじると、後々亀裂が入ったり、いつの間にか離別していたり、旧世代がバラバラ事件になってしまうといった切なすぎるバッドエンドにまっしぐらだ。

 

慎重に。冷静に。しかしやや熱め、そして適量のお湯でもって、ことにあたらねばならない!

 

焦りは禁物。長年頑張ってきて消耗しきっている旧世代と、入ったばかりのカチコチ新人、そうそう簡単に打ち解けられるはずがない。初日は顔合わせ程度にし、そのまま少し時間を置く。

 

そして翌日。少しお互いを知った彼らに、優しく降り注ぐ太陽のように、またぬるま湯を注く。湿らせる程度に、滴々と。

 

ここで注意しなければならないのは、その量と勢いだ。水を差すがごとくダバーッとやってはいけない。せっかく仲良くなりかけている両者をアッサリと引き離してしまう恐れがある。あくまでもそっと見守るように

 

『白湯でもいかがですか』

『お背中流しましょうか?』

 

くらいの感じ。嫌味なくお手伝いするくらいの気持ちで接しなくてはならない。

 

ここらでどんな具合かと、両者の関係性を確かめたくなるのが人情。だが!まだ、まだ触ってはいけない!ここまでやってきて、物理的に引き離したら元も子もないではないか。見て見ぬふり。それが大人の対応というものだ。

 

そうだ。我慢だ。もう一日待とう。忍耐力も鍛えられる。なんと素晴らしい鍛錬だろうっ!?

 

そして翌日。同じように愛という名のぬるま湯をポタポタと注ぐ。そして旧世代の乾いた縁をそっとなぞるようにして、新世代に溶け込ませる。もちろんそっとだ。くすぐるくらいの優しい力で。両者の境目が消えるまで、これを根気よく繰り返す。

 

そんなこんなを経て。数日後。

 

完璧に融合した二世帯せっけん、ついに誕生!!

 

少し盛り上がり部分に旧世代の名残がある、二世帯せっけん。完璧に融合させると、ちょっとやそっとじゃビクともしない。はがれる心配もまったくない。

 

そのパーフェクト状態に仕上げられたとき、そしてそれを使っているとき

 

私はこの上ない幸せを感じてしまうのだ。

 

確かに、それなりの労力、気力、時間を注いではいる。しかし、言うたらたったそれだけのこと。それでこんな嬉しいか?と自分で突っ込むくらい、嬉しい。ひとりニマニマが止まらないくらいには、嬉しいのだ。

 

見事にハモった二世帯せっけんも、いつの間にか旧世代がいなくなる。(これが思った以上に長生き)

 

そしてあんなに厚顔だった新世代も、世間の荒波…もとい私の手荒い手モミにも揉まれ、時間とともにすり減ってゆき、また次の世代と融合することになる。その繋がっていく感じも嫌いじゃない。

 

もちろんしくじることも多々ある。熟年離婚もあるし、若夫婦だってパックリ割れてしまうこともある。シニア世代は骨粗しょう症かと突っ込みたくなるくらい脆くて扱いづらい。志半ばで下水ロードへ召された時は阿鼻叫喚ものだ。

 

でも、所詮せっけん。いつか泡となって消えてなくなる定め。やっちまった時は大して引きずらず、案外きれいサッパリ忘れてしまう。まさかのせっけん効果?

 

そうしたあまたの失敗を糧に、世代交代の時がくると『よっしゃ、今回こそは…!』と仲人よろしく意気込むのだ。しかし、ぶっちゃけその機会はあまり頻繁には訪れないため、苦い経験が活かしきれないこともしばしば。せっけん道は甘くないのである。

 

しかし、やり遂げた時のあの喜びを求めて、時が来るたびに挑んでしまう。それがせっけん道。

 

たかがせっけん。されどせっけん。この先もきっと、やめられない止まらない、マイせっけん生活。

 

いつか二世帯せっけんマイスターになって、オリンピック出場でも目指してみようか。ギネスもいいネ。

 

泡とともに夢まで膨らむ、せっけん生活。まだまだ、きっと当分続くだろう。たぶん。


ふわっとしてしまうのも、きっとせっけんであるがゆえ。