ライフプランター
先日、種を植えた。いつぶりだろう。下手したら学生の頃以来じゃなかろうか。理科の授業とかの。
そして一週間後。何もなかったプランターの土の上に、緑が!
ほぼほぼ農業や家庭菜園なんかとは縁がない生活をしてきたせいか、かなりの感動があった。
えー、ちゃんと芽ぇ出るんだ、あんな仁丹みたいなのや、アンパンの上のケシの実みたいな粒から…。
すごい、生命すごい!植物、ちゃんと生きてる!ていうか植えたところから始まったとしたら、命が動き出すはじまりに関与したってことで…
なんかすごい感動!(単純)
何も植えなくても、いつの間にやら何かの芽が出てくることもあるが、求めるものは、ちゃんとその種を植えないと育たない。当たり前のことだけど。まあ、植えたところでまったく反応がない場合もあったりするけども。
小さな芽。でも、その命というエネルギー、動的なパワーに充てられたのか、生物としてのスイッチが入った。
種
植えてないな。自分に。
こうなりたい。ああなりたい。これができるようになりたい。こういう自分になりたい。あれがやりたい。コレはもっとこうしたい。
突き詰めたらたくさんある。ぼんやりした理想から、結構切実に必要な自分改革事項。さかのぼれば、幼い頃に抱いていた『将来の夢』。
だけど
それはまだ、想像、空想の域を出ていない。
実際それに向けて何か始めたか?
否。
夢は夢のまま、理想のままでいいというのなら、別に問題はない。今のままで。夢を抱く、という現状で満足なら、ある意味、もうクリアしていると言ってもいい。
でも、違う。叶えたい、近づきたい、変えたいという思いはちゃんとある。まだ完全にあきらめてはいない。
まだ種すら植えていない今、水をやる、肥料をやるという段階では到底ない。というより、本気で実現させようとするなら、まずプランターを整えなければ。土を。土台を、まず。
芽が出やすい、成長しやすい土はどんなものか。それすら調べてもいない。ただただ、思っているだけ。漠然と。それこそ無知な子供が抱く無制限無制約の夢のように。そこで止まっている。もう結構な年なのに。
自身のライフプラン。おぼろげにはいろいろ思い描いているけれど、まだまだぼやけた遠い未来には全然手が届かないし、道筋なんてさっぱりだ。
でも、ほんの少し先のことなら。こうなりたいという、ひとつのことだけなら。
種を植えて育て上げられるかもしれない。もう結構な年だし!
まず、プランター。とりあえず、ひとつだけ。
何にしよう。字をきれいに書きたい?体重をイイ感じに落としたい?英語で日常会話ができるようになりたい?
いや、あるのよ。種はたくさん。言い出したらたくさん。難易度やジャンルも多種多様に。でもいっぺんにいろいろ手ぇ出しても育て上げる技術がないことだけは、わかってるから!そこは自信持って言える!(笑)
思うように育たなくても、それはそれでまた一興。一期一会を楽しめばいい。失敗もまた、別のアプローチ方法を試す機会を生み出した、という成功でもある。費やした気力と時間に、何一つ無駄なことなんてない。
よし。やろう。
そして
実際に芽を出し、花を咲かせ実を付けるくらいに育て上げたら
いくつもの種を、見事に実らせることができたなら
そのにぎやかなライフプランターで収穫祭をしよう。
その時は、きっと胸を張って言えるだろう。
私は私のライフプランナーである、と。
40代。さすがに、これまでもいろんな芽は出ているし、実もなっている。身になっている。
でも、それは自らの意思で、しっかりと己が選択しすべて自己責任で育てたものかと言えば…そうではない。そうでないものの方が圧倒的に多い。
だから、これからなのだ。
費用や時間、すべてにおいて自己責任で始めるプランター。誰にやらされるでもなく、自らが選ぶ種。
そのひとつめは…何にしよう?
大人になって、いろいろと世間の常識やら、金銭的な壁、時間の制約、体力の配分、諸々、現実をある程度わかった上でも
やはりワクワクするらしい。
夢を思い描く、この時間は。