マスクの下に潜む恐怖
マスク生活が始まって2年。慣れてきたとは言え、煩わしいことに変わりはない。息苦しいし。夏は「マジ無理~」って感じだ。
早く解放されたいのは山々だが、コロナ禍が落ち着いたようにはあまり感じられない状態で『とりあえず外で三密じゃない状態なら外していいヨ♪』と言われましても。逆にね?それでどのくらい増えるかの実験じゃないですよね?って確認したくなるくらい、いろいろなことにすっかり懐疑的。
なので、おそらく当分はこのまま、脱マスクに対しては慎重派。
それはさておき。
つい先日、スーパーで店頭のチラシを見ていたら、カートが去った後に何か落ちているのが視界に入った。視線を上げると、一桁の子連れの若いママさん。おそらく彼女か子供が落としたものだろう。
『あの、落としましたよ』
それを拾って、ハイと渡す。
たったそれだけのこと。今までは当たり前に、それこそ反射的にしていたであろうこと
が、できなかった。
躊躇したのには、いくつか理由がある。
まず、距離。チラシを見ていたせいで、落とし物に気付いたのがちょっと遅かった。早歩きで動いていた子連れママさんとは、すでにかなり距離が離れていたのだ。そこで想定通りの反応をする場合、結構な声を張り上げなくてはならない。
マスクはしてるし、周りにそんなに人はいなかった。別に声を上げてもよかったと思う。必要であれば問題ないレベル。
でも、もう一つ。落とし物との距離からすると、私が声掛けだけで終わるのは不自然。むしろ先に物を拾って近づきつつ『あの、これ落としませんでした?』というのが正解。
だが
時代はコロナ禍。もちろん私は素手。落とし物はハッキリとは確認しなかったが、バンダナのような、ヘアバンドのような…布製の何か。それを他人である私が手づかみして、親切心丸出しで『ハイ!』と手渡しすることを良しとしない人だったらどうしよう。逆に迷惑にならないか。子供がいる親御さんならコロナには過敏だろうし。私が絶対持ってないとは言い切れない。(今のところ無症状健康そのものだけど)
どうしよう。この距離で『落としましたよ』と聞こえるように言うだけだとしても相当な声量が必要。もちろん他の人の視線も集まる。そしてブツから近い私はリュック一つの身軽な身、一方落とし主は落ち着かない年頃の子連れで買い物カートを押しているママさん。
ないでしょ。声掛けのみ、はない。拾ってあげなよそこは~、ってなるでしょコレ。
そんなことを考えている間に、ママさんはサクッとカートと子供を連れて視界からいなくなっていた。
あー、手遅れ…
ではない。今からでもまだ間に合う。落とし主はまだ覚えているし、四の五の考えずに拾って後を追えばいい。
しかし
(もしかして、あのママさんが落としたんじゃないかもしれない。)
ふと、第3の理由が頭をよぎった。もしそうなら無駄足。じゃないにしても、それを拾ったからにはブツの管理責任は私に移り、サービスカウンターに届けるという強制ミッションへと切り替わる。
「…」
面倒。
第4の理由。私はその時、買い物代行の仕事をするためにスーパーにいた。つまり仕事前。強制ミッションになった場合の時間のロスを考えると、許される気がしてしまったのだ。
そう。『見て見ぬふりをする』という選択肢を選ぶことも。
結局、落とし物が何なのかハッキリ確認するより前に、私の視線はそこから離れ、体も離れ、そのまましれっと買い物業務へ向かった。
そのママさんとそのあとスーパーで出会うことがなかったのと、電話で細かいやりとりをしながらの買い物で他のことを考える余裕がなく、良心の呵責は気付いたら消えていた。
しかし
ヤツラ、黄泉の国から舞い戻ってきやがった!家に帰ってから思い出してしまった。なぜ、あんな簡単なことができなかったんだろうと。
考えれば、逆もある。知人曰く、子供は持ってる確率が高いらしいオミクロン。かもしれないそれを手づかみ。こっちもリスキー。よって、あれはアレで正解じゃない?
なんて
行動に移さなかったことを何とか正当化しようとする自分に、正直、嫌気がさした。
マスクのせいか。コロナのせいか。もともと積極的に人と関わる方ではないが、ああいう普通の反射的な行動をするくらいの勇気は持ち合わせていたハズなのに。
触らなかった選択肢は間違っていないかもしれない。万が一…だったとしたら。私もハイリスクな人に関わる仕事をしているので、そこに関してはかなり気を付けている方だし。
でもさ?
言い訳だよね、という声が全身を支配する。自分内裁判でブーイングの嵐状態。
「コロナのことがあるから躊躇したんじゃん!」
「落とした人がそもそも悪いんじゃん!」
「でも気付いていて、見たのに何もしないってどうなの?」
「ねえ?あんな子育て大変そうなさー、子供なだめながらあわただしく買い物してる若いママさんだよ?どうなのー?」
「だって子供は危ないって!なるべく関わらない方がいいって…」
「でもそれとこれは別じゃない?」
「全然別じゃないし!情けと感染対策の方がむしろ別じゃん!」
「渡して、そのあと手指消毒すれば良かったってだけじゃないの?」
「それは…」
「あっちだって気になるならシュッシュするだろーしさー」
脳内で堂々巡り。
わかってる。結論がすでに出ているからこそ、モヤモヤが消えないんだし…。
「ていうかさー。もしコロナじゃなかったら、フツーに拾って声かけて追っかけてたってことー?」
「そうだよ!」
「えー?絶対?」
「ぜっ…」
したかな。私。絶対に、拾って届けてた?
あの一瞬でこんなに躊躇した。タイミング逃したと思って、結構アッサリ見なかったことにした。
声を発さなかったのは、マスクをしていたせいだろうか。
マスクの下の素顔は、まだ『絶対』と言えるままだろうか。
コロナウイルスじゃなく、コロナ禍そのものには、もうすでに何かを汚染されているのかもしれない。
寝る前、マスクを外した素顔の自分をじっと見た。
何が正解だったんだろう。過去のことをどうこう考えても仕方ないが、やはり笑顔にはなれない。
鏡に映るのは、いつも覆い隠されている口元。
「…」
口ひげ―――ッ!!